フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

聞く耳って持ってたのかな?

子どもの頃以来、どれだけ「聞く耳」を持って聞いてきたかな?と思います。
  ・親が言うから
  ・年長者が言うから
  ・先生が言うから
  ・先輩が言うから
  ・上司が言うから
  ・力の強い人が言うから
  ・口の達者な人が言うから
  ・押しの強い人が言うから
  ・権威のある人が言うから
  ・義務だから
  ・決まりだから
  ・皆がそうしているから
誰かの話を言う事を聞くのは自主的・積極的でなかったかもしれません。怒られるから、命令だから言う事聞いていただけかも・・・。そうした種類の話でなくても、聞きながら「そんなこといわれても・・・」「それは私に当てはまらないし・・・」など内側でブツブツ言っていることもたくさんあります。


それがレッスンが上手くいっているからでしょうか?ここ2-3日、ブツブツ反論する“内側の私”が現れません。内側の私が静かです。別にいなくなったわけではなさそうなのですが、大人しくしています。そこで気づいたこと。

この状態って、楽だぁ〜

「耳」は開いているから、話は聞けます。そして内側が静かなので更によく話をよく聞くことができる上、話に振り回される私がいません。


「振り回される私」って何なのでしょう?「感情的な私」「好悪が優先する私」といえそうです。


脳が忙しくない、脳に隙間がある状態は、何かを生み出せそうで素敵です。