フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

誰が私をケアする?大切にする?

私を含め、たくさんの人が「赤ちゃんがお母さんに世話をしてもらう」ように、誰か(何か)から
 ・世話をされたがっている
 ・面倒をみてもらいたがている
のではないか?と思うようになりました。


赤ちゃんは一人で生きていけないので、世話(care)が必要です。子供もそうです。大人も一人では生きていけません。
でも、
自分で出来ることも他人にしてもらおうとする
のは、赤ちゃんと違います。


子供の頃、熱を出した時などに、いつもなら「自分でしなければならないこと」を免除され、母が世話を焼いてくれ、その上いつもより優しくて、何だか「大切にされている」感があって、心地良かった記憶があります。


体が丈夫で、風邪を引いても軽かったり、お腹を壊すこともなかったりといったお友達は
  「いいなあ〜学校休めて」
  「いいなあ〜好きなもの食べられて」
  「いいなあ〜やさしくしてもらえて」
と羨ましそうに言っていたことも思い出します。


そんな「心地よさ」(錯覚)が染み着いているのでしょうか? それとも、(自分ができることも)誰かがしてくれる、世話をしてもらうと自分が上位になった(力を持った/他人をコントロールできる)ようで快感なのでしょうか?


フェルデンクライスのレッスンを受けていると、「自分の心地良さは自分にしかわからない」「自分の心地良さが他人にも当てはまるわけでない」ことに気づきます。
よく考えれば、言葉を持たない赤ちゃんとコミュニケーションをとるには、観察するしかありません。赤ちゃんのママだって、経験がなければどうして我が子が泣いているのか・泣き止まないのかわからないのです。
  ・お腹が空いている
  ・オムツが濡れた
  ・何だか不快
  ・etc
それを探って回数を重ねていく内に、「この泣き方は多分・・・」と当たりをつけられるようになります。生みの親だって「わからない」のです。もしかすると、赤ちゃんだって自分が何を不快と感じて泣いているのか分からないかもしれません。泣くほどでなくても、機嫌が悪いこともあります。


そうした感覚(何が快/不快なのか)が未発達なまま大人になって、つまんなさそうな顔・不機嫌な顔をしたまま日々を過ごしている可能性があります。


フェルデンクライスでよく聞く言葉のひとつ

感覚を繊細にする

ことは、自分の中にある不快さに気づいて、探り、考え、行動し・・・結果より楽に人生を過ごすことを可能にするのかもしれません。


他人が世話を焼いてくれるのを待っているより、自分で自分の世話をしましょう。大切にしましょう。その方が近道です。毎日を機嫌良く過ごすには。