問いから始まる
問いかけないと、
解は得られない
この1月前半に参加していたフェルデンクライスのトレーニング・コースで、改めて感じたことです。
講師の先生方は毎日のように
何か質問はありませんか?
と私達に声をかけ続けてくださっていました。それに対して私達は、
時に無反応だったり
時に複数の生徒が同時に手を挙げたり
そして時には何か質問したい“感じ”がするけれど“言葉”にまでなっていなかったり。
煙か霧のようにのぼってくる自分の中の「問い」はあっても、それは煙や霧の中の粒みたいなもので、本人にとって「なんだかモヤモヤするけれど・・・」言葉にならない。
逆に言葉にほぼなっているのに、質問することがためらわれたりする場合もあります。
「質問しようか、しないでおこうか?」
「私の質問の意味、通じるかな?」
「私は何を訊こうとしているのだろう?」
そして、質問するために「質問を練る」=自分に問い掛けているうちに、答えの一部のような何かが見え隠れしてきます。
こうしたプロセスを経てした質問は、その返事に納得したり、「言葉化が完了する」きっかけになったり、考え続けることになったり・・・と“自分の物”になります。
「問い」がないと
答えはなく
変化もない