フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

不思議3題

その1 − 本屋さんでの不思議

本屋さんで具体的に何か本を探していなくても、書名も著者名も知らなくても、その時の自分が何となく求めている本がふと書棚で見つかることがあります。普段なら足を運ばない書棚のコーナーで見つけたり、初めて入った書店で見つけたり。ぼーっと棚の書名を眺めているだけなのですが、友人いわく、その本が「こっち、こっち」「わたし、わたし」と手招きしているらしいのです。特に何となく書店に立ち寄った時に本が「こっち、こっち」と手招きしてくれるようです。
そうした本は平置きしてあるのでも、ポップがつけてあるのでもありませんから、全く「背表紙」勝負です。書名だけを見て手にとり、中をぱらぱら見て、「これだ!」と思いレジへ持っていくのです。(編集者の方が本のタイトルに頭を悩まされるのも道理です)
こうして買った本の中にも当たり外れはありますが、7−8割はヒットです。新聞や雑誌の書評欄や、新刊・出版広告を見て買う本より、手招きしてくれた本の方が今の自分にとって必要な内容を含んでいることが多いから不思議です。

その2 − おしゃべりの中の不思議

不思議といえば、何気ないおしゃべりの中での友人の発言が、私の内側での「問い」に対する「答え」になっていることです。私と同じ職業の友人にフェルデンクライスのことを話すことがあります。友人はフェルデンクライスのワークショップに参加したことがありますが、FPTP京都のコース生ではありません。その友人とのおしゃべりの中で、私は「この前の講習で、○○ということがあったんだけどどう思う?」「講師が△△と言ってたのはどういう意味かな?」といった問いではなく、独り言のようにつぶやく「○○と感じて…」「体が△△に変わっていたのはおもしろい」と感想を友人に話しています。その時友人が口にする言葉が、私の内面でまだ言葉にもなっていなかった疑問への「答え」になっているのです。だからなのでしょう、友人の言葉を聞いて、納得したり腑に落ちたり、目の前の霧が晴れるような感じがしています。

その3 − お年寄りの不思議

もう一つの不思議は、仕事上で接するお年寄りの言葉。当り前ですが、フェルデンクライスのこと仕事・人生(?)の考え悩みを彼らに話すことは全くありません。それなのに、お会いして5分と経たない内に彼らの口から出てくる言葉が時に、私の内なる問いや迷い悩みに対するアドバイスになっています。その言葉を聞いた私の勝手な解釈に過ぎないのでしょうが、それでも本当に驚きます。目の前のお年寄りの口を借りて誰か別の人が話しているのでは?と錯覚するほどです。
普段会話もなかなか成り立たない、誰に話すのでもない単語や短い文、途切れ途切れのご自分の記憶…そうした方から突然、何の脈絡もなく、でも明らかに目の前の私に向かって語りかけ始められるのです。まとまった筋の通った言葉を、私に掛けてくださっていることがよくわかります。これには本当に驚きます。私の勝手な思い込みでも錯覚でも何でも、とにかくその時点での、私へのアドバイスになっているのです。