フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

自分の体験の押しつけをしない −miyuさんのコメントから

私の2008.11.24付記事言葉を選ぶ』に、いただいたmiyuさんのコメントは、今月27日(土)から始まるFPTP京都の冬セグメントに不安になっている私を励ましてくださったと同時に、大切なことを気づかせてくださいました。ありがとうございます。


miyuさんのブログ『フェルデンクライス カフェ 京都』こちら


私の不安 : 『ATMティーチャー』の認定試験はあるの?
フェルデンクライス指導者養成コースを2年間修了すると、メソッドのグループレッスンATM(Awareness Through Movement:動きを通した気づき)を教えることができます。
(『ATMティーチャー』の認定を受ける)


ですから、今冬の講習会(12/27〜1/8)を終わったら私は『ATMティーチャー』になっているはず…。
だから、この冬は『認定試験』があるだろうと。


ところがその要項が発表されていません。
「どんな試験だろう??」と不安になっているのです。
だってFPTP Yokohamaのコース生は『認定試験(プラクティカム)』に向けて練習されているようですから
(Hide!さんブログ『愛しのフェルデンクライスメソッド』→こちら
(Hide!さんのところのコメント欄でも、私はボヤいています…→こちら


miyuさんからの励まし

フェルデンクライス・メソッドのレッスンは、

  ・効果を期待したり
  ・一定の学びをあるひとつのレッスンから得る  ことが目的ではない

ので、

・レッスンが自分の体験の押し付けにならぬように気をつける必要がある
・レッスンは、生きたもので即興性にあふれるもの
・何かを決めてかかったり、期待してレッスンにのぞめない


(2008.11.24付記事『言葉を選ぶ』へのmiyuさんからのコメントこちら


そうなのです。


私は自分の不安を小さくしようとして、レッスンCDでATMレッスンをしたり、本を参考にATMレッスンを録音したりして、『枠』を作っていました。この『枠』には次の視点がまるまる抜け落ちていたことをmiyuさんのコメントから気づきます。

自分の体験を生かしたレッスン作りをするのではなく
(なぜなら、『レッスンでの発見や学び、気づきは人それぞれ』)
レッスンの中にどんな要素があって、
これをすることによって何をモシェは、私達に気づいてもらいたいのかを吟味する


(2008.11.24付記事『言葉を選ぶ』へのmiyuさんからのコメントこちら


自分の体験(発見・気づき)をもとにレッスン指導をしようとしていました。
レッスンを受ける立場にいる時は、「押しつけ」「決めつけ」られる指導は大キライな私なのに。


さあ、ふりだしに戻りましょう。