フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

ふりだし地点は思いのほか遠い −Hide!さんのコメントから

miyuさんからのコメントを読んで、ATMレッスン指導に対する、私の決めつけ・思い込み・先入観はガァガガァ〜っと崩れ、脳内更地化が進んだように思います。


・思いこみ【1】
ATMレッスン指導のポイントを勘違いしていた
(自分の体験を生かしたレッスン作りをするのではなく)
・思いこみ【2】
レッスンの「詳しい台本」を作らないと、と気が重かった
(慣れてくると、読むだけでもレッスン準備は可能)
・思いこみ【3】
フェルデンクライスの効果を実感してもらいたい
(あるひとつのレッスンから、効果を期待したり・一定の学びを得ることが目的ではない)
( ( )内はmiyuさんからのコメントです)


でも、「さあ、ふりだしにもどるぞ〜!」と意気込んでみたものの、何か引っかかりを感じます。『ATMレッスン指導についての思いこみ』以外に何か根深いものがあるような…。
そこへHide!さんからのコメントです。

おそらく我々は(ワタクシも含めて)
  ?資格試験に向けて勉強する。
  ?一定の成績を取って合格する。
  ?資格を得る。
という勉強のステップしか経験していないのでしょう。


(Hide!さんからのコメント→こちら


そうなのです。
私は、小学校高学年以来のなじみある古い習慣で動いていたことに気づきます。

昨日の記事を書きながら、私の中でブクンブクンと泡立っていた正体は

  • ATMティーチャーの認定試験がなかったら、指導練習しないの!?
  • 講習会期間中だけ、メソッドのことちょっと真剣に考えるだけ!?
  • そうやって、ぼぉ〜っと2011年の修了を迎えるつもり!?
  • 「不安だ〜不安だ〜」とボヤいていないで行動すれば!?

だったのです。

ふりだしにもどる」は当初考えていた地点より、ずっと遠いところにあるようです。