フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

モモになれないけれど

誰かと会話している時、相手の話を聞いて返事をしたり
相づちを打つといった反応する前に、ほんの少し待つことで
その会話がスムーズに進むかもしれないと少し気づくようになりました。


「返事する」「相づちを打つ」「表情をつくる」
という表に出る具体的な反応(行動)のまだずっと手前、
自分の内側で反応(感じる・考える)が起こるまだその前で、
ほんの少し待ってみます。


ほんの少し待つことで
「見込み」「予測」で反応することが減っているように感じます。


「待つこと」の他に
「観察する」「想像する」「決め付けない」が加わると、
会話のスムーズさはより安定したものになるようです。


誰かとの会話とは、自分自身も含めた相手との会話です。

  • 自分自身
  • 両親・兄弟姉妹
  • 配偶者・パートナー・恋人
  • 友人・知り合い
  • 上司・部下・同僚・取引先
  • 外国の人
  • 年上・年下・同年代
  • 同性・異性
  • 認知症の人・障害をもつ人

相手の話を聞いて、
自分の内側でほんの少し0.1秒〜1秒待って
わからないところがあれば確認するか、話の先をもう少し聞きます。
そして、思い込まず、決めつけないで返事をする。


【せっかち+決めつけ型】の私には、
ブレーキを踏み、サイドブレーキもかけて、
ハンドルから手を離し、アクセルからも足を離しておいて
ちょうど良い加減です。
時にはキーも外しておく必要があるかもしれません。
でないと、あっという間に暴走してしまいます。危険です。


ほんの少し待って、決めつけないで返事をすることで、
会話の中身も、相手との関係も変わるように感じます。
時間に追われる生活をしている中で、
私にとって「待つ」ことは修行のようです。

ベッポの考えでは、世のなかの不幸というものはすべて、みんながやたらとうそをつくことから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものを見きわめずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ、というのです。『モモ』51頁
モモ (岩波少年文庫(127))

せっかちにならないのにもエネルギーが要ります。


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モモ
『モモ』(ミヒャエル・エンデ/作、大島かおり/訳)の主人公

 小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。
…… 
 モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにもともな考えがうかんできます。モモがそういう考えをひきだすようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。
……
 こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!
『モモ』(ミヒャエル・エンデ/作、大島かおり/訳、岩波少年文庫、23−24頁)