フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

「フェルデンクライス・ビタミン」説

先日、

身体が大きくなり、力がつき、内側からパワーが出てくる。夏休み前と後では、できる動きが違う。昨日と今日でも違いがある。…そんな成長期独特の感覚を思い出して、とても嬉しくなりました。

なんだか、いろいろなことができそう
可能性が出てきた
そんな感覚を、成長期の「思い出」としてでなく、今の「自分の身体」の内側で感じられたことは大きな喜びであり、驚きです。
2009.02.12付記事「成長期の感覚」より)

と書き、それがフェルデンクライスを学んでいることと関係していると、考えていました。でも、その後気づきました。フェルデンクライス・メソッドが関係しているというより、私の暮らし方が影響しているのでは?ということに。


今の私が、子ども時代のような時間の過し方・人との関係をとっているから、あのような「成長期の感覚」が中から出てきたのだと思うのです。

フェルデンクライスはビタミンのようなもので、あの「感覚」が生まれるにはそれだけでは足りない。そこに「時間」と「人間関係」が必要なのでは?と考えています。


時間」については、辺見庸さんの言葉

…、即時的にメッセージが発信され受けることが出来る世界っていうのは、便利なようでいて、実はやばいってことですよね。瞬時に情報が到達する、情報を受けることができる、という即時性が。物事を反復して思索する、思惟する思弁する。物事を反復して、思索して、思いを深めていく、っていう、これは人間的な行為だと思うんです。そうじゃない、とは僕は絶対言って欲しくないんですね。これは人間的な行為だと思うんですね。それには、とっても悠長な時間がかかる。無駄なようなね。つまり迂遠な時間と空間が要るんですよ。僕はそう思う。
それを今の世界っていうのは「金」に置き換えているんじゃないかよ、って思う。「お金」。
時間とお金をほとんど同じような、同義のものとして考えがちになっている。そうじゃなくて、必要な、自然に必要な時間っていうのか、迂遠な時間っていうのかな、無駄のような、無駄とも思われるような時間っていうものが欲しいと思う。
NHK教育ETV特集―作家・辺見庸 しのびよる破局の中で」より)


人間関係」については、糸井重里さんと山岸俊男さんの対談

山岸:つまり、このことを逆に言いますと、人間が暮らしていくにあたって、他の人のことを「まったく考えない」ということは、すごく、難しいということです。
糸井:ああ、そうですよね。
以前、ある商品を開発するために「疲れ」の研究をしたんです。
山岸:ええ。
糸井:そのときに聞いたんですけど、
脳の疲れの原因ってほとんどが「人間関係」らしいんですよ
山岸:ほう。
糸井:それはもう、100%と言えるくらいなんですって。
だから、仕事をサボってても、会社に行くだけで、十分に疲れちゃうという(笑)。
山岸:あはははは(笑)。
ほぼ日刊イトイ新聞
「やっぱり正直者で行こう!―山岸俊男先生のおもしろ社会心理学講義」
第7回サムライJAPANより)


あの記事を書いた後に、聞いたり読んで「あれ?もしかして??」と思ったのが上の二つです。
子供には「時間」「人間関係」も無縁です。
動き回ってお腹が空いたら何か食べたいし、
遊び疲れて眠くなったら寝たい。
半年後の何かのために、今日コレして明日はアレして…なんて考えない
そもそも上下も左右も人間を意識してない
(相手の体が自分より、大きいか、力が強いか、どうかがポイントです)


子供は、体中心の生活。
大人は、「頭中心」「頭優先」の生活。


私は、頭(脳みそ)ドップリ生活から、ほんの少し身体生活へシフトしかけているのかもしれません。それを「成長期の感覚」と頭が解釈しているのかもしれません。