フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

脳と身体はフラットな関係

「学ぶ」や「教える」「教わる」「習う」「身につける」「育つ」「成長する」「変わる」が私の気になるテーマです。

What is learning?

What is learning?

Learning that is not the result changing behavior, is not learning.
学びって何でしょう?
ふるまい方(=習性としての行動)に変化として現れないような学びは「学び」とは言えません
ロビー・オフィアーさん(Mr. Robbie Ofir)*1の言葉(2007年8月15日)

を聞いて以来、特に「学ぶ」が私のなかにペタ〜っとくっついています。いわゆる学校でいうところの『学ぶ』がしみついている私に、ロビーさんがおっしゃった『学び』の定義は、

もしかして、私はこれまでロクに学んでこなかった!?

を突きつけることになりました。


何かしら知識(情報)は得てきたかもしれません。でも、それは頭の中、テスト、受験の上だけ。ただ、集めて、適当に整理してきただけで、それを加工して別の形にする、それを元手に何かを得る・変える、という“運用”“活用”の発想がありませんでした。「たんす預金」なら、使わない限りお金は残っていますが、頭の中の「情報貯金」は使わないと残らない上、邪魔なゴミとなることもあります。
(でも、学校の知識では、“運用”の原資にならないんだろうな〜、たぶん)

“脳”は“身体”

脳の中の(目の粗い)ザルに、せっせと情報をほうりこんでも、編み目のあいだから落ちていきます。ザルの目を細かくしたり、ザルじゃない物にして、その上“運用”するには、時間と身体が必要だと思っています。
ザルを変えるのが「時間」(慣れるために必要)、運用には「身体」です。


「“脳”と“身体”」の上下関係じゃなく、「“脳”も“身体”」のフラットな関係にする。脳を「神経の親玉」「最高指令部」ではなく、筋肉や胃・肝臓と同じ「身体」扱いにして、エラそうにさせない。
基本的に面倒くさがりで、すぐに「わかった!」と思い込む脳に、「ねえ、本当にわかってるの??」と確認をし続ければ、たぶん「エラそう」でなくなると思います。

そして

教わったことは、とりあえず使ってみよう

です。

*1:ロビー・オフィアーさん(Mr. Robbie Ofir):
FPTP京都(フェルデンクライスメソッド指導者養成コース)の講師