フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

モノサシを作る

なにを読んでもフェルデンクライス・メソッドに結びつけて考える私の「癖」。


このメソッドを学ぼう!と飛びついたものの、「学び方を学ぶ」「脳と身体のコミュニケーションを高める」etcとわかるような分からないような話や、これまで経験してきた感覚とは違うことに、戸惑いながら2年3ヵ月が経ちました。

しかも、目に見える「お手本」はありません。速さや重さ・柔軟性・美しさ・難易度、そして勝ち負けを競うものでなく、「級」「段」もありません。


身体で感じている、頭のどこかで気づいたことはたくさんあるのですが、うまく言葉にできず、もどかしいままでいます。
だからなのかもしれません。自分の中から言葉が出てこない分、読んだ本や新聞記事、ブログ記事をフェルデンクライスにつなげるのは。

レッスンで何かを感じた時、
あわててそれを言葉にする必要はない
急いで言葉にすることはない

とこれまで先生方から聞いてきました。でも、昨日の朝のレッスンのように、自分にとって大切な何かに気づいた(感じた)時には、それを言葉にしたいのです。(「その感覚に捕らわれることになるよ」という、先生の声が聞こえてきそうです)


そして、昨日、かっこいいお写真(「こんな風に89歳になれるの!?」)に惹かれて読んだ記事

「見残しの塔」という小説は、私自身の規矩で選び取り、組み上げてきた、私にとっての「塔」なのかもしれません。
(2009年8月1日付朝日新聞夕刊、3面「語る人-作家 久木綾子さん」より)

今、私はフェルデンクライスを通して、「自分の規矩(規=コンパス、矩=モノサシ)を作っている」ことに思い至りました。