フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

痛みに忙殺される

たくさんの筋肉を使って動いていると
「小さな違い」「小さな変化」を感じることができない
だから、小さく、楽にできる範囲で動く

とは、フェルデンクライスのグループレッスンでよく聞く言葉です。この筋肉以外にも、もうひとつ大切なことがあるようです。それは、体の各部位の位置関係です。


体はたいへんよくできているし、多少の“幅”(ゆとり)もあり、ある程度「融通がきく」のですが、それでも、物理的な法則から逃れることはできません。
ある動きをするのに「手足がその位置にあると力がうまく伝わらない」ことがよくあります。普通、今の関節の状態(痛みの有無、柔らかさ・硬さ)から自然と手足を置く位置が決まります。この置く位置にも幅があって、指示に近い場所に置くにも


  A) 本当に楽(=無理がない)
  B) ちょっと無理してるかな?
  C)結構がんばっている


など段階があります。「ちょっとの無理」を「大したことではない」と脳は自分の都合のようようにとらえがちですが、「無理」は「無理」なのです。決して「楽」ではありません。「ちょっと無理め」の態勢から動き始めると「かなり無理」を生み出します。つまり、筋肉に大量動員をかけることになります。そもそも、楽でない状態で感じることは出来なくなります。感じることができないと「学び」につながりません。


身体が“小声以下”で訴える「ちょっと無理してると思うんだけどな〜」を、頭はなかなか聞き取ることができないようです。耳から入ってくる指示を実現することに一生懸命ですから。そして、脳が聞き取れないと修正はできません。


フェルデンクライスのグループレッスンでも、自分一人で修正しようのない部分は、面倒がらずにタオルやマットの助けを借りて、「本当に楽」な状態を作りだす必要があるようです。


無理から来る、「痛み」や「違和感」「不快感」があると、本当に感受性がガタガタガタ〜〜〜〜っと下がります。逆に、それらがなければ、全く違う世界が見えてきます。
「痛み」があると、脳はその対応に忙殺され、知恵が働かなくなるようです。