フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

「変われる力」を育むフェルデンクライス・メソッド

フェルデンクライス・メソッドのグループレッスン中、いろいろな疑問が頭に浮かびます。

レッスン中、こんなことを思います

指示通りにしているつもりだけど、この動きで合ってる?

動きの「見本」「お手本」「手順」を示されないのでこの疑問が出ます

「骨盤がこちらに転がると顎はどっちを向きますか?」
って先生は訊いてるけど、ところで正解は?

レッスン中たくさんの問いかけを耳にしますが、答えや正解は示されません。質問には答えや正解がつきものだと思っているのでこの疑問が浮かんできます。

どうして、右側ばかりを動かすの?
後で左もするんでしょうね??

「違い」や「変化」を感じるために、レッスンでは身体の片側ばかり動かす場合があります。しかも、それでレッスンが終わることもあります。でも、「バランスよく」「偏らないで」身体を動かすことが大切だと思っているのでこの疑問が浮かびます。

身体がアンバランスになった感じがするけれど
これどうするの?

レッスンで生じたアンバランスをそのまま持ち帰ることで、普段の動きとの違いをより明確にします。でも、アンバランスな感覚は正直慣れないし、気持ち悪いので、この疑問が出ます。(普段「バランスがとれている」と感じている状態が、実は、身体にとってアンバランスなのかもしれない可能性には気づきません)

「楽に動ける範囲で」っていうけれど、
動けてるからこれでいいのよね?

「動けている」ことと、「楽である」「心地よい動き」は別物です。
指示通りの動きを実現することに夢中になって、その質に注意を向けていないと、この疑問が出てきます。

この動きの目的は一体何?

動きに目的があるのではないから、フェルデンクライス・メソッドは分かりにくいのかもしれません。「脳を再構築する」ことが目的、といってもピンとこないでしょう。動きそのものに目的はなく、動きを生み出す過程、動きから生まれる感覚のフィードバックなど、結果よりプロセスの中味を観ることが目的です。でも、普段わかりやすい目的・結果(入口・出口)に慣れているとこの疑問がすぐに浮かんできます。

レッスン後、確かに動きは軽くなったけれど
だから何なの?

マッサージなど他人から何かされて「軽くなった」ことは評価します。
一生懸命必死に動いた結果「軽くなった」ら、それも納得します。
「やった感」「やってもらった感」があるからでしょうか。
でも、「楽に」「小さく」自分で動いた結果
「軽くなった」ら疑問が湧いてきます。
(自分の力で獲得した結果なら、もっと自信を持っても、喜んでもいいと思うのですが)

一度試してみませんか?

今は、何でも即効性・簡単・単純・明快・分かりやすさを求められます。
自分で考えない・受け身・消費者であることが多い世の中です。
フェルデンクライス・メソッドは、
即効性もあるし、動きは簡単だし、流れも単純です。でも、
  ・自分の身体で感じること
  ・自分の頭で考えること
  ・自分から関わっていくこと
  ・自分から変わっていくこと
  ・創造者であること
を求めるメソッドです。創始者のモシェ・フェルデンクライス(Moshe Feldenkrais)が大切にした「選択・独立・自由」にとって、これらは欠かすことができない要素なのだと思います。


レッスンを通して身体は軽くなるし、考える力もつきます。
そして自分の内側を見つめることも出来ます。
何より、「変わる力」「変われる力」「学習力」を
身につけることができます。


肩こり・腰痛・頭痛
“心”痛・“(他者との)関係性”痛etc
にお悩みの方、一度レッスンを受けてみませんか?