フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

突っ走り系の二人

9月頃から顔を出し始めた“私の中の子ども”。
最初遠慮がちだった“その子”が、あっという間にあちらこちらのボタンやレバー・アクセルに触りだし、外側の私がだぁ〜〜〜〜っと動かされている。
この3ヶ月はそんな状態でした。


その子”とのコンビネーションは、奇妙な感じがしています。
顔を出す、或いは操縦しているのは私の中の“小さな子”だけだと思っていましたが、よくよく観察しているとそうでないようです。
様々な年齢の「私」が色々な場面で見え隠れしています。
一番目立つのが「5‐6歳の私」なだけです。
場面に応じて、歳相応の(?)私が登場してきます。
「過去の私」「過去にある種の経験を持つ私」
といってもいいのかもしれません。
良くも悪くもそれらの「私」が出てきます。


突っ走り系の「5‐6歳の私」に並ぶのが「会社員の私」です。
どちらも突っ走ります。
この人が出てきたら要注意です。
「5‐6歳の私」とは別の意味で「周りが見えなくなる」から。


今の私は、過去の私が積み重なって出来上がっているんだな・・・
と実感します。しかも、「上書き」されてきたのではなく、
「名前を付けて保存」の形で重なっている。
ファイルは一個じゃなくて多数存在している。
要らない過去のファイルは、
消去する必要はなくて、開けなかったらいいだけ。
その取捨選択ができるようになれば、面白くなるだろうなと思っています。
そして思います。「新しい私」を作れるかな?と。
すぐに「開く」突っ走り系の二人をうまくコントロールしつつ。