フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

先ずは自分を大切に

大人も子どもも皆なんだか
  ・誰かから世話されたがっている
  ・誰かに面倒をみてもらいたがっている
と感じています。それは、自分が世話をされることで「大切にされている」と錯覚できるからではないか?と考えて、気がつきました。

自分が誰からも大切にされていないから
「大切にされていない」自分の空白部分を埋めるために
「大切にされている」感をほんの少し味わえることを求めて
世話をされたがっている!?

自分自身が自分を大切にしていないのですから
そんな自分が他人を大切にできるとは思えません。
(他人の「世話」はできますが、「大切」とは別です)


自分の内と外で
自分と他者との間で
一見「思いやっている」「大切にしている」風だけれど
なんだか、誰からも大切にされていないな…」というかすかな感じが
行き来しているのだとしたら?


誰も、自分が一番かわいい
と聞いたり、言ったりしますが
本当にそれが実行できているのでしょうか?
かわいいはずの自分を、大切にしているように見えないのですが。


フェルデンクライスのレッスンを受けると
「内なる自分」を大切にしていなかったことに気づくことがあります。
別にわざとそうしているのではなく
単に習慣として、反射のようにそうしているだけです。


(自分ができることまで)世話をされることを求めない
自律の第一歩です
それには、先ず自分を大切にすることから始まりそうです。