フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

厳しいなあ〜…

フェルデンクライス・メソッドを学ぶ中で
プラス面以外のことも耳にすることがあります
  ・すごく自分が混乱する
  ・何だかとてもモヤモヤする
  ・落ち着かない
  ・わからなくなった
といった言葉がそれ(プラス面じゃない部分)を表しているでしょう


また、以前聞いた話に

フェルデンクライスを学ぶことは
良いこと楽しいことばかりではないかもしれません
フェルデンクライスを学んだことで
自分が変わり、その結果
付き合う友人が減ることもあります
「変わったあなた」から友人(パートナー)が離れていく
そんな影響が出ることもあります

というものもありました。


私は今のところ、どれにも当てはまっていません。
  ・混乱するより整理がつく(道筋がぼんやり見える)
  ・ふわふわ地上から浮いていた感じが落ち着く
  ・モヤモヤするより「な〜んだ♪そうか☆」と腑に落ちる
といった変化があります。
また、「ちょっぴり変わった自分」が同じ人物との間で
ちょっと新しい関係性を作ったりすることがあるので
「離れていく」とは別です。

厳しさに向き合う

ただ、上手く言えませんが
フェルデンクライス・メソッドを学んだことで
ある種の厳しさが目の前に並んだような感じがあります
選択や決断、変化を求める厳しさというか。
流されるままに、反射のように、よく考えないで
これまで過ごしてきたことが
そのままでも別にいいけど、これからもそれで行くの?
と自分に訊かれているような気がします。


そんな風に訊かれて
  「え〜!? 何それ?
  「これまで通りでいいやん
  「なんか面白そう
  「そんなん考えんとこ
  「きついこと訊くなあ
  「ところで、何したいの?
とガヤガヤと内側が騒がしくなります。


でも、内側の私は“子ども”の集まりなので面白がり
その周辺にパラパラといる“大人の私”は「まいったなあ」と
つぶやくことになります。多数決です。

自分の内側の子どもと共生

今の私は大人なので、子ども時代ほど単純でいられないのでしょう
この単純でないことを「厳しいなあ」と感じているのかもしれません
もう大人なんだから仕方ありません。


厳しさも感じつつ、おもしろがっていけたら
私の中の大人と子どもがうまく手をつないでいけたら
「自分の中で大人と子どもの共生」でいいかもしれません