フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

試されます

フェルデンクライスのレッスンを受ける(レッスンをする)と
  ・答えはひとつじゃない
  ・正解はない
ということにどれだけ自分が耐えられるか?を
試されているなあ…と感じます


 ・予め設けられた「答え(正解)」を“当てる”
 ・3〜5つの選択肢から「答え」をひとつ選ぶ
ことを繰り返してきた人間にとって、全員に共通する答えや
唯一の解答なんて存在しないというのは中々腑に落ちません。


レッスンで話を聞いて、頭は「そりゃあ、そうよね〜♪」と
わかったようなことを言っていますが、本当はちーっとも理解していないことが
自分の反応・行動といった身体に見事表れています。


ここで、ちょっとした混乱が起こります。
  A)「わかった♪」つもりの頭
  B)「わかってない」を知っている身体
AとBが噛み合わないのです。
頭は自分の方が「エライ!」と思っていますが
それは単なる思・い・込・み♪♪ 
だから、こうした混乱が生じるのは身体側でなく頭側なのです。


フェルデンクライスのレッスンを受けて
  ・あ〜気持ち良かった
  ・身体がやわらかくなった
  ・リラックスできた
  ・身体が軽くなった
以外に
  ・何だかモヤモヤする
  ・何か引っ掛かる
  ・目の前に霧がかかったみたい
  ・身体はいい感じだけれど…

といった違和感が生まれたりすることがあります。


この違和感と共にいることが出来るか? 
想定内のことから、驚きは生まれず、衝撃もありせん。
「慣性」で動いている、行動している自分を
  ・先ずスピードをゆるめさせ
  ・時に止め
  ・方向を変え
  ・また動き始めさせる
には何かしら「衝撃」が必要です。


  何か変化がほしい!
  何か変えたい!
という方、フェルデンクライス・メソッドをお試し下さい。
どういう方向に、どんな大きさで変わるか「未知数」を楽しめる方や
「正解がない」ことをおもしろがれるに方にお勧めです。