記憶から距離を置く
昨日のフェルデンクライスのグループレッスンは「呼吸」でした。
・仰向け寝
・肺を意識して呼吸
・右(上葉・中葉・下葉)をそれぞれ意識して呼吸
・左(上葉・下葉)をそれぞれ意識して呼吸
という、四肢の動きがない地味〜なレッスンです。
ヒトは記憶に支配される
このレッスンは以前に受けたことがあり
その時「良いイメージ」を抱いたものでした。
この記憶が曲者だったのです…。
「あの時」の「感覚(結果)」を「再現」しようと呼吸をしていました。
先に右肺のレッスンをして立ち上がると
なんと!右半身が縮んでしまっています。
以前のレッスンで得た感覚なんてどこにもありません。
「あの素敵な感覚をもう一度♪」と欲を出したのがイケません。
必要以上に大きく呼吸をしていた私の右半身は、過伸展されたことで
逆に縮んでしまったのです。
レッスン中に、賢い身体は何度も警告を発していました。
首の筋肉や胸骨(と肋骨の境目)に違和感を感じていたのです。
なのに、それを無視した結果…
私のアタマは融通がきかない
右で失敗した私のアタマは、修正を試みます。
左の肺を意識しての呼吸は、指導の先生からどんなに
「肺が、左右・上下方向に膨らむのを感じますか?」といった
言葉掛けがあっても、それを感じるまで空気を出し入れしません。
私の胸部の動きが極端に小さくなったのを見て、先生は
脇や鎖骨の下、背中に手を当てて
それらが動くことを意識しやすくするようしてくださいます。
ところが、レッスン前半で「懲りた」私は、その手があってもなくても
マイペースを通します。
ニュートラルな状態で動く
私の「白か黒か」的性格がよく表れた今回のレッスンでした。
過去の経験や記憶に縛られたことで
今日のその日の身体を無視して動いていました。
そして、今度は「×*▽◇÷…」となった
レッスン前半の記憶を引きずって後半を動いています。
これほど記憶に左右されて行動しているとは。
「今、此処」で行動するのは難しいです。