フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

経験の差がある

私達は、疲れたたら、しんどかったら
身体を横にして寝さえすれば「楽」と思っているところがあります。
二本脚で不安定に立っていなくてもいいので、確かに楽です
でも、その「楽」とは違う種類の「楽」があることを
フェルデンクライスのレッスンを受けると感じることがあります

実はよく知らない

グループレッスンでは
  「自分が楽に動ける範囲で」
  「自分にとって心地良い動きを」
といった言葉を聞きます。
この「楽」「心地よい」が曲者です。
わかっていそうな馴染みある言葉ですが
実はよく知らない(体感/体験したことがない)種類のものです

カラダは知っているのでしょうが
アタマが知らない(わかっていない)
アタマは経験したことがない

フェルデンクライスのレッスンでは
そうしたカラダとアタマの経験の差を埋める可能性があります。
だから、フェルデンクライス・メソッドは「教育」と言われるのかもしれません


アタマに「経験」する機会を与える、それがレッスンの役割かもしれません
アタマにとって、カラダのことは
「生まれて初めて〜!」
がまだまだたくさんあるようです

空気袋に変身

意識しなくても
たくさんの空気がわぁーっと入ってくる
身体全体が一枚皮の“空気袋”になって
隅々まで空気が行き渡ったら
自動的にエネルギーが満ちてくる
ことを昨日は体験しました。
食べ物を摂るだけがエネルギー補給ではないようです。