フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

誰にとっての当たり前?

自分が当たり前のようにしていることが
周りの人にどう見えているかはわからないものです。

子どもの頃なら、子ども同士言葉に出さなくても
イヤだったり不快だったりすると
遠慮なく(?)泣いたり怒ったり叩いたり…をして
とりあえず相手に伝え合っていたように思います。


また親から、親戚から近所のおじさん・おばさんからは
褒められたり叱られたりして
彼らの目に映る私の行動に何かしらコメントをもらえました。


大人になってずいぶん経った今
そういう機会がなくなっていることに気付きます。
言われないし、言わない。
子どもだったから言ってもらえたこと
子ども同士だったから言い合えたこと


人のふり見て、我がふり直せ
は、大人が自分を修正していくための諺なのかもしれません。