変わってなければ意味がない
大阪大でコミュニケーションデザインの授業を担当している劇作家で演出家の平田オリザさんが、いつだったかダイアローグ(対話)とディベート(論争)の違いについて見事な定義をしていました。ディベートというのは話し合いの前後で自分の考えが変わっていたら負け、しかしダイアローグでは逆にかわっていなければやる意味がないというんです。
(朝日新聞朝刊、2010年6月17日付)
(「読書会」について、哲学者 鷲田清一さんの記事)
★★鷲田清一さん→こちら
★★平田オリザさん→こちら
★★どくしょ甲子園→こちら
フェルデンクライスのレッスンは
自分の身体や自分の思考・習慣との対話なんだ〜
とこの記事を読んで一人納得。
フェルデンクライスのレッスンをしていて、或いは学んでいて
感じているのは、この「自分が変わるおもしろさ」です。
「自分の癖(習慣)が変わっていたら“負け”」ではなく
レッスンを通して
変わるかもしれないし
変わらないかもしれない
外からの強制や、自分の外にある動機からでなく
自分の選択の結果、変わっていく
元来コミュニケーションというのは話せば話すほどおのおのの違いがより細かくみえてくるところに意義があるんですね。
(同上)
レッスンをすればするほど
自分の中での細かな違いや変化に気づくし
レッスン後、参加者同士互いの感想を分かち合うと
今度は「他者との違い」を知り
「な〜んだ、違って当たり前なんだ♪」
「同じであるわけないんだ♪」と楽になります。
フェルデンクライスのレッスン、お勧めです。