フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

まだまだ余白がある

小学校4年生くらいからでしょうか
  「去年の私と違う」
  「夏休み前と何か変わった」
と時間軸の中での自分の変化に気づくようになったのは。


それまでも、体重や身長、力や運動能力の変化に
「おお〜〜♪」と一人喜んでいました。
椅子にのらないと取れなかった棚の物が
背伸びしたら取れるようになったり
母をおんぶすることが出来るようになったり
新しいことができるようになる度、ニコニコしていました。


そうした肉体的な変化以外のことを意識し始めたのが
多分、小学校中学年からだったのでしょう。
自分の振る舞いや、物の見方、考え方に
  「あれ? 私、前はこんな風にしてたかな?」
と気づいて驚いたり、戸惑ったり
ちょっと嬉しくなったり…


ところが、学校を卒業して働き始めると
こうした色々な自分の変化がなくなります。
変化に「気づかない」のでもなく
変化そのものが「ない」だったのだと思います。


会社員として働いている内に、
  ・対応する力
  ・こなす力
  ・処理能力
をつけた分
子ども時代の「反応する力」を減らしていたのです。
「こなす力」が高まり
多少給与が去年と違ったとしても
「去年の私と違う♪」という喜びはありませんでした。


「去年の私と違う♪」を感じなくなって十数年。
大人になるってこんな風に
「成長感」をなくすことなのかな?
つまんないな…
毎日をこなすだけで、後の年月を送るのかな…
とぼんやり思っていました。


そんなことありません。
大人になっても「成長感」を持つ場面はあるようです。
フェルデンクライスのコースを学んで
ワークショップデザイナー育成プログラム受講を通して

“学び”の余地は
まだまだあるやん♪

と気づき実感しつつ、そして少し行動しつつあります。


子ども程「白紙」ではありませんが
子ども並みに「余白」はまだまだあるようです。


今日と明日は
ワークショップデザイナー育成プログラムの
ワークショップを開く「実践日」。
何が起こるでしょう?