フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

話好きでないかもしれないけれど無口じゃない

いつも、私の話をニコニコと聞いてくれている友人達を
「無口な人」と思っていた。
「きっと『話し下手』だから話しをしようとしないんだ」
と、時には思っていた。


とんでもない間違いである。


私のまとまりのない話に、
短い言葉で、適切・適度なアドバイスをしてくれる彼らが
「話し下手」なわけがない。

「話好き」ではないかもしれないが、
決して「無口」でも「話し下手」でもない。


いつも友人が「聞き役」だったのは、彼らが口を開く前に
私が先に喋り出していただけのこと。
ポンポンとスピードのある会話をするタイプではないだけ。


よく聞いている(こちらが長めに黙っている)と
友人が何か話そうと口を開く音が聞こえ、
よく見ていると、友人の目元や口元が
何かを言い出しそうにモゾモゾ動いている。


これらが言葉になって、彼らの口から出てくる前に
いつも私が先にしゃべっている…
そして、それが繰り返され、「無口な」友人になっていく。


彼らを「聞き役」「無口な人」にしていたのは
他ならない私の態度である。