フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

子どものような質問の仕方

今受講中のフェルデンクライスの講習会(FPTP京都)で
講師からの「何か質問ありませんか?」
に私の手が“勝手に”挙がっていることがあって
自分で驚きます。

誰?コノ人?

以前なら
「こんな質問してもいいのかな?」
「質問内容が未整理だから、今は訊かないでおこう」
等、グダグダ思っていたのですが、春の講習あたりから
アレコレ考えるよりも前に挙手している自分がいて
「この人(=手を挙げている自分)、誰!?」状態です。


この、「気が走る」のとはちょっと違う
「考えるより先に動く」私
が登場したのは、小学校低学年以来のように思います。

そういえば
ああ、こんな感じで
教室で手を挙げていたなぁ…

と懐かしい感覚があります。

子どもの質問はまとまりがない…

アレコレ考えないで手を挙げた結果どうなるか?
質問をしながら質問内容を考える、という状況になります
まとまりのない言葉を繰り出しながら
「この生徒は何を言いたいのだろう?」という
講師の顔を見ながら、モゴモゴ言い続けていくうちに
私の中で、
  ・何を疑問に思っているのか
  ・何に引っ掛かっているのか
  ・何に納得いっていないのか
が形になっていくのを感じます
そして、講師の答えを聞く少し前に、自分なりの答えがポカリと浮いてきて「!」となります。
自分なりのはっきりした“問い”を立てられた時点で、答えにつながる何かが生まれるのかもしれません。

自分で抽出する

ポカンを口を開けて待っていても
欲しい答えは与えてもらえない
そもそも、自分の問いを
自分が明らかに出来ていなければ
答えを見つけようがない
答えは与えられるものでも
向こうからやって来るものでもなく
自分で見つけるものだろうから