フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

何を入れますか?Part2

質問です

フェルデンクライス・メソッドは、何々である。

フェルデンクライス・メソッド」を主語にしたら、述語は何としますか?


ある人は
「フェルデンクライスは、『魔法』かな?」
と口にされました。
また、ある方は
「フェルデンクライスは『脳の体操』のよう」
とおっしゃいました。
私は「身体は、…である」の質問の時のようには
パッと述語部分が出てきません。


10秒位考えてポカリと浮かんだのが
  「フェルデンクライス・メソッドは“道”である
です。何かにたどりつく、何処かへ行くための「道」。
その道も2種類あります。
  A)元々ある道(身体の仕組み)
  B)自分で作る(或いは、これまで歩いてきた)道
どちらも、自分で「探索する」「見つける」必要があります。


  「既にある」道の(A)と
  「既にある+これから作る道」の(B)
また、こうも言えるかもしれません。
  自分の意志とは無関係にある(A)と
  自分の意志や思いと関係ある(B)


メソッドを通じて、私はどんな道を見つけることが出来るでしょう?
見つけられるかもしれないし、何も見つけられないかもしれません。