フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

「出来ない」の?

ねぇ、「出来ない」って決めつけてない?

ぶつぶつグダグダ言う私の話を聞いてくれていた友人が
「また、いつものクセが出てる…」
といった風に注意を促してくれます。

似て別物

物事に取り組む前に思う
  「出来ない」
  「出来るかな?」
この2つはずいぶんと違う“姿勢”です。


「出来ない」と決めつけたら
その事には取り組まないでしょう。取り組んだとしても
「出来ない」と思ってやっているので、矛盾があります。


一方の「出来るかな?」は
 ・出来ないかもしれない
 ・出来るかもしれない
と両方なのです。
どちらになるかは「未来」のことなので分かりません。

楽を選ぶ

「出来ない」と決めつけて
取り組まない、スタートしない、止めておく方が
「出来るかどうか分かんない」まま進むより楽です。


友人の言葉は

(よく考えもしないで)
(何の工夫もしないで)
楽な方に行こうとしていない?

と私に訊いてくれています。
私自身がやりたい、興味を持っている事なのに
 ・知らない
 ・経験がない
 ・大変そう
 ・面倒
という理由で「出来ない」とつぶやく時に決まって
この問いを投げ掛けてもらっているようです。

クセ

「出来ない」を連発するのは、
行動や物の見方・考え方の「クセ」なのかもしれない…
とやっと気づき始めています。
「出来ないかもしれないけれど、やってみよう」
という姿勢も「クセ(習慣)」のようです。

クセ・習慣というなら
どちらが生活や人生を豊か/楽しくするでしょう?
自分が嫌な事・興味がないことに無理でも取り組め!
というのではありません。
  「おもしろそう」
  「やってみたいな」
という事に対しては、簡単に「出来ない」を口にしないようしたいものです。