フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

気づきという「種」を得る

つまり、学ぶべき事態が起こっても、本人がそこから学びとる力がなければ、日々の業務も生活も学びの場にはならないということだ。自分の力で学んでくれたらいいけれど、気付かなければ学びようがないんだよ。このまま、本人に任せていたら一生分からないかもしれない。
(「美人研究員は見た!ビジネスメール事件簿」)
(平井友朗さん・直井章子さん)
(2011.04.11記事:新入社員がしでかした! 「暴走メールさん」

「美人研究員は見た!…」は毎回新着記事を楽しみにしている
ビジネスメールの書き方+αをテーマにしたコラムです。


新入社員の暴走メールの内容はコラムを読んでいただくとして、
ポイントは「気づかなければ学びようがない」です。
つまり、いつまでも間違いをし続ける…ということです。
上司や先輩社員が気がついて指導したとしても
本人が気がつかなければ、単純にミスを繰り返すし、
他の場面で応用がきかない可能性が高いので
そこでも別のミスもする…ということになります。

気づきと学びの間には…

「気づき」と「学び(行動や振る舞いが変わる)」の間には
とても太い溝があるなぁ〜〜…と常々感じています。
そして最近、この溝が太くなったり細くなることに気付きました。
時と場合によって変化するのです。


  溝が細い:行動がヒュンと変わる
  溝が太い:行動が変わりにくい(固まってる) 
  
と考えると


【細い】
・経験が少ないこと
・褒められるなど、良いことがあった
・誰かに言われるのでなく自分で気づく
・命令や強制の形でなく自分に伝わる
【太い】
・その経験でずっときていること
・けなされたりするなど、不愉快なことがあった
・命令や強制がある
・違いに気づかない


溝なんてなかったかのように瞬間に「変わった!」と感じる時と
向こうが見えないほどの距離を感じる「変わりにくさ」がある時と
幅がずいぶんあります。


溝の幅がどうであれ、変わるためには「気づき」が必要です。
自分の中からの「気づき」が変わるためのエネルギーだったり
スイッチだったりします。
「なるほど!」を重ねると知識や情報は増えるかもしれませんが
振る舞いには大きな影響を与えないようです。

動きを通した気づき

フェルデンクライス・メソッドのグループレッスンは
「動きを通した気づき」Awareness Through Movement
と呼ばれます。変わるための“種”である気づきを得る
良いレッスン(機会)だと思います。


レッスンを通して
「なるほど」
「な〜んだそういうことか」
「わかった〜!!」
「どういうこと??」
「どーして!?」
etcが、たくさん出てきます。それを種の材料にして、種に仕上げて
寝かせたり発酵させたりしながら「変化」のきっかけをつかみます。


そうしたことを、身体を動かすことで得ます。ですから、

このメソッドは、医療、マッサージ、ボディワーク、セラピーなどの技術ではない。このメソッドは学習のプロセスである。
フェルデンクライスメソッド 実践の基準
(日本フェルデンクライス協会HPより)

なのです。