フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

からだで理解

みんな人の世話をやくのではない、
自分のことは自分でやって、
自己を確立していけなければならない、
と話して聞かせただけでは直りません。
作業を通して、からだで理解させなければならないのです。
……
これから討議などをして、話し合いをしていく時に、
自己の確立をしていない人たちの、
寄りかかりあいになるのでしたら、
そういう話し合いはおことわりだという気がします。
人に寄りかかりあいながら、話をするのは討議ではない、
自分の考えを持とうとしなくては、
初めから討議に参加する資格が欠けているのだと思います。
(「新編 教えるということ」149頁、大村はま著、ちくま学芸文庫

新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)

身体を動かすことで、学び・理解することはたくさんあります。
特に、子ども時代(高校卒業まで)にどれだけ経験(体験)してきたかで
その後がずいぶんと変わってくると思います。


フェルデンライスのレッスンで「学び続ける」ことが可能といっても
20歳までのそれとは、深さも広さも中身も速さも違うと思います。


今、私の学ぶ速度の遅いこと遅いこと。
「ひと夏過ぎたら別人」となった小学生時代とは比べ物になりません。


それでも、学んで変わっていける力がどうやら備わっていることに
感謝しています。