フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

大聖堂に響く声

先日受けたフェルデンクライスのグループレッスンは
「声」をテーマにしたものでした。

仰向けに寝て
口を開けて自分の一番低い声を出す
唇を閉じて声を出す
鼻から声を出す
片方の鼻を閉じて声を出す
座って
唇閉じたまま、聖書の一節を読む
もう一度仰向けに寝て
口を開けて声を出す

そんな内容のレッスンでした。


普段、胸郭を固めがちで、喉を締め付けている私は
声のレッスンが少々苦手。


どうして苦手なのか?
声を出すと、自分の身体の様子がよくわかるから。
普段無意識にしているだろうことを見ることになるから。


  「あ〜…こんなところを固めている」
  「え〜?ここ硬くしてどうするの!?」
  「ちょっとちょっと、何してるの?」
自分の身体との対話で、うるさいうるさい♪
(私が一方的に話しかけているだけのようですが)


身体にブルブツ文句を言ってもはじまりません。
身体にアレコレ批評してもはじまりません。
身体をアレヤコレヤと比べてもはじまりません。


「提案」「お願い」「お試し」がポイントだと思います。
「禁止」「命令」「強要」「義務」…はダメ。


静かに丁寧に、少〜しだけ、いつもとは違う動きをしてみる。
すると、身体が変わってくるからおもしろいです。
「変わってくる」なんて、えらそうなこと言えません。
一緒に遊ぶ、という感じです。


こうなると、身体と二人して(?)
「楽しいね♪」「おもしろいね♪」となります。


そして、楽しく動いていると、動きの可能性がどんどん広がります。
「可能性」というより、「本来持っている(備わっている)能力」かな?


だからでしょうか、
「な〜んだ、できるんだ」とちょっとえらそうに思ったりもします。


自分にないものを、どこかから持ってくる/付け足すというより
身体の使い方(動き方)を知らなかっただけ、という感じです。


声のレッスンの最後には、
自分の身体が楽器になったように身体全体が共鳴して
“大聖堂”で声を出しているような、そんな心地よさを味わいました。
(レッスン場所は21畳の和室)


身体と遊ぶのは楽しいです。