フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

小さくても私だけのもの


何かをきっかけに、心/頭/動きの中で気になっていたことが
「ああ、そういうことか!」と気づきます。


多くの場合「きっかけ」と「気になっていたこと」の間に
直接の関係はありません。距離が遠い、次元が違います。
自分でも「コレからアレに気づくか〜!?」と思います。


気づいた瞬間、その気づきはキラキラしているのですが
氷が解けていくように、キラキラした輝きは消えていきます。
輝きを無くさないように記憶しておこうと思っても
「あれ?私ナニに気づいたんだっけ?」
「とっても大きな発見だったと思ったけど、勘違い?」
という始末。


解けきらない内に、気づいたことを書き残そうとしても
間に合わないことがほとんどですし
書いていても「これがあのキラキラしていたもの!?」と
作文力のなさか、気づきの中身のなさに落ち込みます。


もし、気づいたことを上手く書けた/話せたとしても
それを読んだり聞いたりした人には「ふ〜ん、そうなんだ…」
(それがどうしたんだろ…)な内容だと思います。


でも、あのピカ〜っと光る感覚は
子どもの頃、いろいろな場面で見つけた「私だけの発見」を
思い出させ嬉しくなります。