フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

透明人間に出会う

フェルデンクライスのグループレッスンを受けていると
自分の中に積み上げられてきた強固な「当たり前」や
無意識な考え方に何度もぶつかります。


最初の頃、透明人間のような「当たり前」を
感じることや捉えることができず、その代わりのように
「(身体面での)痛み」や「(感情面での)不快感」などを
レッスン中やその後に抱いていました。


今ある「当たり前」も、元は「当たり前でなかった」のでしょうが
いつの間にか空気のような存在(感じ方、物の見方、考え方)に
なっています。
そうなると本当につかまえにくい。
見えないものだから尚のこと厄介です。


レッスンを重ねることで透明人間の一部が見えてきます。
でも、面白いことに、まだ見えていない部分に躓くし
サイズも形も不明だし
どこで現れるかどこに潜んでいるかわからないので
転んだりして、気持ちが落ち込んだりします。


そうしたことも起こるのですが、やはり根っこのところで
私の頭と身体の両方の好奇心をくすぐる何かがあるのです。
フェルデンクライス・メソッドには。

透明人間探しは続きます。