フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

“タグ”ってそういうことか−ブログ『羽鳥操の日々あれこれ』から−

先日、羽鳥操さんのブログ『羽鳥操の日々あれこれ』を読んでいて「そうだったか〜!」と分かったのが【タグ】です。
   羽鳥操さんのブログ『羽鳥操の日々あれこれ』2008.08.26付記事こちら

   ブログでは、ブログを書き終えて‘投稿’をクリックすると、
   「タイトルが未記入」と指摘され投稿を受け付けてくれない、ことがしばしばある。
   「なんで、タイトル(必須)なの?」

という羽鳥さんのこれまでの疑問に、ご自身がネット関連の本を読まれて分かったことをブログに書いていらっしゃいます。


私はこの記事を読んで、「なあーんだ、【タグ】ってそういうことか」と腑に落ちたわけです。「その名の通り」でしかないのに、まるで宇宙語のように【タグ】を考えていたからわけがわからなかったのです。
『タグ』という言葉は、これまで何度も耳にしているし、実際使っています。身の周りにもあります。

  • 「そのタグには、値段いくらと書いてある?」
  • 「きちんとタグを付けておかないと、後で見つけられなくなって困るよ」
  • 「やっぱり、タグシールを使うと便利」

なのに、インタ−ネットに絡むと「???」だったのですから変ですね。


この“タグ”が分かって見方が変わったのが、フェルデンクライスのATM(グループレッスン)での”naming”(ネーミング)です。
今年の春と夏のフェルデンクライス講習会では、講師の先生から何度も
   「このATMレッスンに名前をつけるとしたら、何にしますか?」
と私達受講生に問いかけがありました。その度に、私は「・・・(そんなの難しい〜。そういうの苦手〜。)」と無言。考えつかないのです。


そして、昨日講習会のノートを見直している時に、本人はATMの概要を書いたつもりでも、読んですぐに「ああ、あの動きのレッスンね」と思い出せるものと、「どんな動きだったかな?」と思い出せないものとがあることに気づいたのです。
つまり“タグ”です。ATMレッスンの概要にきちんとタグが付いていたら、中身が分かるのです。
ノートを見てレッスンの動きを思い出せないものは、適当なタグが付いていないからです。


今すぐにネーミングが出来なくても、先ずはタグ付けから始めたらいいのでは?と思いつき、少しうれしくなりました。(苦手なことが少しは解決できそうなので)