フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

無口にさせていたのは私

無口な友人がいます。
1対1でもグループでも、いつも聞き役。
人の話を、聞き流すこともなく、話の腰を折ることなく、とんちんかんな相づちを打つこともなく、聞いています。そして、「おしゃべり」「雑談」の時、自分から話すことがありません。友人が詳しいことについて質問すると、分かるように根気よく、かみくだいて説明してくれます。その説明の仕方や選ぶ言葉を聞いていると、別に話下手でもありません。


こちらの話をきちんと聞いてくれるし、質問には丁寧に、時に最小限度に答えてもらえますが、その友人自身から「自発的」「主体的」に話すことがないことを不思議に思っていました。


ある日、友人が「今日あった出来事」を話してくれました。
私の質問に答えてのことではありません。
今日ね、○○ということがあって…△△と思った」という話です。
びっくりしました。
(失礼な話ですが)口をきくはずのない、目の前の犬や猫が突然話し始めたように思ったほどです。


いつもの私なら人の話をろくに聞かず、

  • 変な相づちを打ったり
  • 見当ハズレの質問したり
  • 話の腰を折ったり
  • 人の話を奪って自分の話をし始めたり

するのですが、この初めての展開に驚いて、「うん、うん」と、いらない口を挟むことなく、友人の話を聞くことができました。


友人が話す短い「今日あった出来事」を聞きながら、その間私の頭はフル回転です。
この人は確かにおしゃべりでないし、話し好きでもない。
「無口」だけれど、自分の感覚や考えをきちんと持っている。
なのに、どうして自分から話さないのか???

(私自身に)人の話を聞こうとする態度が欠けているからだ

ということに気づきました。

  • 話を最後まで聞かず、自分勝手に結論づけたり
  • 「言いたいことは、つまり…」とまとめてみたり
  • 評価や分析を加えてみたり
  • ……

そういえば、こうした私の態度を、友人は「また、決めつけが始まった…」と静かに指摘していました。(この指摘を、私はすぐに忘れて同じことを繰り返していたのです)

私の態度やありようが、友人を「無口な人」にしていただけです。