フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

「できない」というハードル

子供の頃は、成長するにつれて、これまで出来なかった動きが次から次へとできるようになります。
記憶はありませんが、仰向けに寝かされていたらずっとそのままの姿勢だったのが、寝返りできるようになり、その後

  • (うつ伏せで)頭を持ち上げる
  • 一人で座っていられる
  • ハイハイ
  • かまり立ち
  • etc

とどんどん動ける(一人で移動できる)ようになっていきます。


この記憶がない時代も、その後のところどころ記憶がある何年かの幼児時代も、たとえその動きが出来なくても「できない」という発想はなかったように思います。
同じ年頃のお友達が、三輪車から補助輪付き自転車に乗りかえ、やがてガラガラと補助輪が地面をこする音をさせないで走っているのを見ていて、今の自分は「(補助輪なしに)乗れない」のに『できない』と思っていませんでした。


身体が成長するに従って、特に教えられたわけでもないのに、色々な動きができるようになったのと同じような感覚でいたのでしょう。
今思うと、「できない」なんてこれっぽっちも思わないでいられた超楽天的な子供時代は幸せだったと思います。
「できない」と思う前に「(その動きを)したい!!」という気持ちが強力に前面(全面)に出てきて、余計なことを考えずに、試しては失敗しを繰り返して、やがてできるようになるのですから。


それがいつの頃からか、私の中で「できない」から物事が始まるようになりました。


経験したことがなく、
習ったこともなく、
最初から出来るはずもないのに、
「出来なくて当たり前」という前提をスッ飛ばしています。

できない」なんてハードルを最初に目の前に持ってくると、どうなるか?『やる気がなくなる』です。


要らないハードルを自分で持って来たら、自分で片付けるしかありません。


要らないハードルを持ち出さないと同時に、私の前に置きっぱなし広げっ放しのハードルも片付ける必要があるようです。