フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

比較しないで学ぶ−その2

自分の動きだけを意識してレッスンを受けていたらいい!
ということで、これほど楽しくのびのびといられるのか!と喜んでいたのですが、目の前の具体的な他人との比較だけが比較でないことに、やがて気づき始めます。
2009.02.17付「比較しないで学ぶ」より)

と昨日書きました。


インストラクターや周りの受講者の動きと自分を比較しないで、体を動かしていくことができるフェルデンクライスのATM(グループレッスン)。目を閉じていれば、レッスン指導者の声に集中して動けます。ところが、レッスンを重ねるうち気がつきます。

他人との比較だけが比較でない
私の内側にある「仮想の見本」「設定した動き」と比較している

レッスン中、「動きの指示」の合間に語られる、感覚的な気づきへのアドバイス。これを聞いて
・「うおお〜、首を動かしているのに骨盤が連動している!」
・「え〜!?足首を動かしたら、顎先も動く!」
・「キャー!!想像上の平均台から落っこちるぅ〜」
と動きのつながりを感じます。そうしたことを感じている一方で、


・指示通りに動く
・間違えないで動く
・きちんと動く
・しっかり動く
ことに必死になっています。自分の中で勝手に「こうあるべき動きのお手本」を作り上げていました。「仮想お手本」と実際の動きを比べながら、自分にダメ出しをする。そして、「動きの指示」を遂行することに意識が向いていて、指導者のアドバイスがあった時だけ「内部感覚」に注意を向ける。それ以外は動くことに必死。だから、レッスン後、体が痛くなったり、翌日筋肉痛になったりするのです。

ATMは「動く」ことが目的ではありません

を理解するのに時間がかかっています。


モシェ(Moshe Feldenkraisフェルデンクライスメソッド創始者)が作ったATMレッスンは「動き」に不思議なおもしろさ(からくり)があって、ついつい子どものように動きに夢中になってしまうからです。