フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

フェルデンとブログで向かう先

先日

フェルデンクライスで身体との対話
ブログで頭との対話

と「自分との対話に忙しい」と書きました。
2009.02.25付記事「フェルデンとブログの二本立て」)


「自分との対話」なんてカッコいいこと書いていますが、本当のところは
自分に目を向けられるようになった(なりつつある)」が近いでしょう。


これまで私は

・他人の意図
・他人の感情
・周りの状況
を読み取ることに忙しくしていました。先回りして読もうとする習慣があります。頼まれてもいないのに勝手に読んで、勝手に対応(段取り)する。そして、気がついたら「自分」をどこかに置いてきぼり。

もし本当に「読み取る力」があって、
うまくコトが運ぶように「段取りする力」があるなら、
私自身に使うっていう手もあるんじゃないの?


と、ふと思ったこともあるのですが「思いつき」どまりです。


それが、フェルデンクライスとブログのおかげで、少しずつ少しずつ自分自身に目が向き始めています。
私の感情/意図/考えにも意識が向かいつつあります。


誰かといっしょにいる時、同じ場面で、同時に(または先に)「私の」意図や感情も存在していることに(やっと)気づきました。そして、反射的に他人の意図や感情を優先させなくても「大丈夫なんじゃない?」と思い始めています。「反射」で相手を優先するのでなく、自分の気持ち・考えも
  ・候補に挙げて Hop
  ・検討して Step
  ・「選択」する Jump!


「選択」のテーブル上には、相手と自分の“カード”両方をのせる。
表に出た形が「相手を優先」していたとしても、その中味が
「反射」の結果か、
「選択」の結果
ではずいぶん違います。


よく気がつく
という私への評価が本物なら、それを私自身に向けても発揮してみたいと思います。置いてきぼりの私を、取り戻すために。