フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

頭痛と学習

私が頭痛にあわてなくなったのはどうしてでしょうか?
フェルデンクライスを学んでいるからといって、頭痛がゼロになったわけではありません。一昨日の頭痛のように「ちょっと怪しい雲行きだけれど、なんとかいけるかな?」と様子を見ていたら、ドッカーンと雷がなって、大雨…という展開*1だってあります。


フェルデンクライスのレッスンを受け、本格的に学ぶことで、身体や体質が変わったのでしょうか?
体質が変わったとは思いません。でも、身体の使い方が少し変わったと思います。なにより「身体を観る目」「身体と対話する脳」が変わった、と思っています。

ATMレッスンで、何してる?

フェルデンクライスメソッドのATM*2をしていると、私の脳と身体が

動きが発生する直前までに何をしているか?

というプロセスを見つめることになります。

脳と筋肉(身体)、感覚と脳のやりとりをながめていると、見事にバラバラです。意志の疎通がなってない、というか。
「えーっ!?」「何やってるのぉー!?」と思わず声を上げてしまいます。


身体を動かす筋肉は“随意筋”(意志によって動かすことのできる筋)なのに、その動きに直接関係のない筋肉があちらこちらから「参入(介入)」してくるのです。私が「動け!」と命令をした覚えのない筋肉が、にぎやかに動きます。(随意筋ですから、命令したつもりはなくても、他ならぬ私の脳が命令しているのですが)


この「動きに直接関係しない」筋肉に、おとなしくしてもらう必要が出てきます。(でないと、楽にレッスンの動きをすることができません)

今はあなたの出番ではないの
“間”を考えてね
主役の足を引っ張らないでくれる?
周りの状況をみてね
今回の主役はどこー?

と全身と対話します。

頭痛のとき、何してる?

片頭痛の時も、身体に目をやり、身体と対話してみます。(質疑応答、かな?)

本当はどの程度の痛みなのか?
痛みに加担している筋肉がいないか?
痛みを和らげる体制を敷けないか?
頭痛サーキットの遮断ポイントはどこか?


ATMレッスンの時とよく似ています。
身体ときちんと向き合えば、脳は身体と対話できます。
対話できると、脳も身体も学習します。それは見事なものです。
私が「頭痛にあわてなくなった」のは、たぶん「学習」の成果だと思います。

*1:一昨日の頭痛は…
・ズキンズキンと脈打つ痛み(拍動痛)
・右こめかみ中心に痛む
・右目の奥が痛い
・胃に違和感(ムカムカする)
と典型的な「片頭痛」でした。目の奥が怪しくなってきた時点で、頭痛薬を飲めばよかったのに「様子を見つづけてみよう」と経過観察。その上、「温めたらどうなるかな?」という実験精神で不快感がある右肩を温めたのがいけませんでした。雷神様のお越しです。
さぁ〜と血の気が引いていくのが分かります。胃のむかむか感が上昇してきます。腸は不穏な動きをし始めます。それでも冷静に、そろりそろりと布団の中にもぐりこみ、脂汗にまみれる事態は回避できました。
土気色の顔をしてふらふら二階へ向かう娘を見て、「頭痛でどうしてそんな顔色になるの?」と母は不思議そうにつぶやいていました。

*2:ATM:
フェルデンクライスメソッドのグループレッスン
"Awareness Through Movement"の略
「動きを通した気づき」と訳される
レッスン指導者の声による動きの指示を聞いて、動いていく。
動きの見本や手本は特に示されない。