感覚を想像する
朝日新聞の日曜別刷紙「be on Sunday」の連載に「心体観測」があります。
筆者は2〜3ヶ月毎に変わり、今は、
金沢創さん(日本女子大准教授)による『他者の心・自分の心』です。
連載10回目の昨日(2009.03.15付記事)のテーマは
『教える』ことの難しさ
でした。「伝える」「学ぶ」の延長線上で「教える」もmyテーマになっている私にとって、大変興味がある内容です。
一方向 VS 双方向
金沢創さんは、石器の発明の「伝達」からみた
・「学ぶ側」
・「教える側」(←なにかを積極的に教える場合)
の違いを挙げていらっしゃいます。
◆「学ぶ側」は
・先生の体に起きている感覚を想像しながら
・先生の体の動きを注意深く観察する
という先生にだけ注意を向けていたらよい一方向の伝達
◆「教える側」は
・他者の感覚に敏感でいて
・自分からと他者からみた自分を知りながら、伝える努力をする
という双方向の伝達
(金沢創さんの連載『他者の心・自分の心』)
(朝日新聞2009.03.15別刷り「be on Sunday」s7面より)
知識や技術の習得・伝達において、
学ぶ側は
先生から見た自分を知っていなければ良い生徒にはなれない、
ことはない
けれど
教える側には
生徒から見た自分を知らなければ良い先生にはなれない、
ことを理解しておく必要がある
生徒になるのは簡単ですが、先生になるのはかなり難しそうです。
だから、「技を盗め」「見て覚えろ」と一方向伝達を求められるのかもしれません。
「教える」「教わる」の間柄?
この記事を読んでいるうちに、フェルデンクライスのグループレッスンATMで、ATM指導者とレッスン受講者の関係は、「教える」「教わる」の間柄じゃないことに気づきます。
指導者による「動きの見本(手本)」はないので、受講者が注意深く観察する対象は他者(先生)の体ではなく、自分の体の内側です。指導者は「動きの指示」を言葉で伝えるだけで教えません。受講者と指導者のどちらにも必要なことは感覚の敏感さです。
受講者は、自分の感覚を注意深く観察し
指導者は、他者(=受講者)の感覚を想像する
そして、
受講者は、自分の感覚から学び
指導者も、他者(=受講者)の感覚から学ぶ
Learn how to learn.(学び方を学ぶ)
フェルデンクライス・メソッドの特徴のひとつだと思います。