他人と他者〜「孤独と不安のレッスン」(鴻上尚史/著、大和書房)
- 作者: 鴻上尚史
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2006/06/10
- メディア: 単行本
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国際結婚をした人達が、口々に、
「結婚で大切なのは、気持ちよりも理解。愛情よりも情報」
と答えます。
(「孤独と不安のレッスン」149頁)
ですから、あなたの愛した人は、家族は、親友は、
『何も言わなくても分かってくれるもう一人の自分』ではなく、
『他者』です。
(同書 151頁)
家族の間でも、大切なのは“情報”です。
家族は、「私」の分身ではありません。
家族は他人?
「“親”っていっても “他人”やし」
なんてえらそうなことを言っていた時(思春期ですね)がありましたが、あの頃は全然分かっていなかったな、と今なら思います。
仕事で、年齢や性別、症状の違ういろいろな方にお会いします。お話を根気よく聞きながら、その方の表情・動きなどを観察し、こちらが説明をする時も、どう言えば相手に伝わるか考えて言葉を選んでいます。コミュニケーションをとるために集中しています。
ところが、仕事でなら我慢強くできることも、
相手が家族になったとたん「崩壊」します。
・私の気持ち(様子)をちょっとは読んでよ!
・仕事から帰ってきたばかりの時に話し掛けないで
・朝、忙しい時に、その話!?
・この前、説明したのに…。
仕事のようにはいかない
思春期の私がえらそうに言った「家族は“他人”」であれば、いい歳した大人の私は、仕事でできていることは家でも同じようにできるはずです。
自分でない「ひと」を相手にした時、仕事と家では、コミュニケーションの出来不出来、それに費やすエネルギーの量に大きな違いがあります。簡単だ、と思っていた「家」の方が「仕事」よりけっこう難しかったりします。
人間関係には、『他人』と『他者』という二つの種類があるのです。
(上述書、128頁)
そうです、“親”は“他者”なのです。
仕事で見聞きしてきた親子関係で感じ続けていた「ひっかかり」の正体が見えてきたようです。
そして、これは“夫婦”にも当てはまるようです。