フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

曹操の詩「短歌行」〜映画「レッドクリフPart2」より

短歌行 by曹操(155〜220)
對酒當歌  酒に対して當(まさ)に歌うべし、
人生幾何  人生 幾何(いくばく)ぞ。
譬如朝露  譬(たと)えば朝露の如し、
去日苦多  去る日は苦(はなは)だ多し。
慨當以慷  慨(がい)して當(まさ)に以て慷(こう)すべし、
幽思難忘  幽思 忘れ難し。
何以解憂  何を以てか憂(うれ)いを解かん、
唯有杜康  唯(た)だ杜康有るのみ。


青青子衿  青青たる子(きみ)が衿、
悠悠我心  悠悠たる我が心。
但為君故  但(た)だ君の為の故に、
沈吟至今  沈吟(ちんぎん)して今に至る。
呦呦鹿鳴  呦呦(ゆうゆう)と鹿鳴き、
食野之苹  野の苹(へい)を食(くら)う。
我有嘉賓  我に嘉賓(かひん)有らば、
鼓瑟吹笙  瑟(しつ)を鼓し 笙(しょう)を吹かん


明明如月  明明たること月の如きも、
何時可掇  何(いず)れの時にか掇(と)るべき。
憂従中来  憂いは中(うち)より来たり、
不可断絶  断絶す可からず。
越陌度阡  陌(はく)を越え 阡(せん)を度(わた)り、
枉用相存  枉(ま)げて用(も)って相存す。
契闊談讌  契闊(けいかつ) 談讌(だんえん)して、
心念舊恩  心に旧恩を念(おも)う。


月明星稀  月明らかにして星稀に、
烏鵲南飛  烏鵲(うじゃく) 南へ飛ぶ。
繞樹三匝  樹を繞(めぐ)ること三匝(さんそう)
何枝可依  何(いず)れの枝にか依る可き。
山不厭高  山は高きを厭(いと)わず、
海不厭深  海は深きを厭(いと)わず。
周公吐哺  周公は哺(ほ)を吐きて、
天下帰心  天下は心を帰したり。
(「中国名詩選」(松枝茂夫/編、岩波書店、1990年、32〜35頁)

レッドクリフPart2で曹操が詠む

映画「レッドクリフPart2」で、劇中、曹操が詠んだのがこの「短歌行」だったと思います。全てを詠ったか、記憶が定かではありません。


本によると、「賢才の士を招きたいとの願望を詠ったもの」とありました。でも、映画の流れからいくと、「小喬周瑜の妻)を想う」詩に聞こえます。詳しく詩を読むと、ますます、そのように思ってしまいます。(映画の影響を受けすぎ?)


詩の中の「青衿」(黒い衿の服)は「書生」の意味ですから、「小喬」をよんだものではないのです。でも〜、劇中の彼女は黒い衿の衣装を身につけて、曹操の陣に向かったような…。

日本語訳

酒を飲んだら大いに歌うべきだ。人生なんて短いものだ。あたかも朝露のように、ただ過ぎ去る日々のなんと多いことよ。
感情のたかぶるままに歌うがよい。だが、胸の奥底の憂いは忘れようが無い。何によって、この憂いを消し去れようか。ただ酒あるのみ。


青い衿の服を着た学生諸君よ。私は君たちすぐれた才能の持ち主をあこがれること久しく、今までひたすらに思いつづけてきた。
鹿は呦呦(ゆうゆう)と鳴きかわしつつ、仲間とともに野原のヨモギを食(は)んでいる。そのようにわたしは、立派な客人とともに、大琴をかき鳴らして笛を吹いて楽しみたいと思う。


さやかに輝く月の光は、いつまでたっても手に取れるものではない。心のうちから生ずる憂いも、絶ち切ることはできない。
だが君は、はるばる遠い道を越え、わざわざ訪ねてきてくれた。久しぶりに飲み語らって、かつての誼(よしみ)をあたためなおそう。


月明らかに星稀れな夜、カササギが南へ飛ぼうとして、ぐるぐると木のまわりを三度めぐり、宿るべき枝をさがしあぐねている。
山は高ければ高いほどいい、海は深ければ深いほどいい。むかし周公は、食事中、食べかけた食物を吐き出してまで、訪ねてくる士の応対につとめた。だから、天下の人々がみな心をよせたのだ。
(同上の本から)