フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

気づきと学びのあいだ

フェルデンクライスメソッドのグループレッスン、ATMは、

Awareness Through Movement
動きを通した気づき

の略です。


そして、フェルデンクライスメソッドでの「学び」は

What is learning?
(学びって何でしょう?)
Learning that is not the result changing behavior, is not learning.
(ふるまい方(=習性としての行動)に変化として現れないような学びは「学び」とは言えません)
ロビー・オフィアーさん(Mr. Robbie Ofir)*1の言葉(2007年8月15日)
behaviorふるまい,動作;行儀,品行;[他人に対する]態度,応対の仕方;[心]行動;[生]行動,習性,生態;(環境・刺激に対する)反応,適応性(ジーニアス英和辞典 電子辞書版)

というものです。

「学び」ってなに?

ロビーさんの言葉を聞いてからずっと、この「気づき Awareness」と「学び Learning」について考えています。

  「学び」がこれまで私が思っていたことと全く違うらしい、ということ。
  私の思う「学び」は何だったのか?といこと。
  フェルデンクライスメソッドの大きなテーマのひとつ「Learn how to learn. 学び方を学ぶ」は一体何を意味するのか?ということ。

レッスンは楽しい

ATMレッスンを受けると、レッスン後に
  ・身長が伸びたように感じたり
  ・リラックスしたり
  ・腰痛や肩こりが軽減したり
  ・視界が広がったり
  ・こころが落ち着いたり
  ・etc…
といった身体や感覚、気持ちの変化を感じることがあります。
また、レッスン中には、
  ・動きの癖
  ・四六時中緊張している部分
  ・先走り、せっかちな気持ち
  ・緊張したり、身構えがちな自分
  ・思い通りに動かない身体
  ・etc…
というものに気づく(awareness)こともあります。

そして、レッスンの始めにうまくいかなかった動きが、レッスン終わりはできるようになっている(楽にできるようになっている)と、うれしいし楽しいです。

真っ白じゃない私

でも、メソッド創始者のモシェ・フェルデンクライス(Moshe Feldenkrais 1904〜1984)が考えていたこと(求めていたこと)は、こうした「感じる・気づく・楽しい」じゃないだろう、と。


M・フェルデンクライスが創ったATMレッスンは、赤ちゃんの発達過程を観察し参考にしてできたものがたくさんあるそうです。赤ちゃんは真っ白ですが、レッスンを受ける私達は真っ白な存在ではありません。赤ちゃんの動きを真似て身体を動かしても、一瞬(一時的に)真っ白に近くなることがあるかもしれませんが、あっという間に「書き込まれ」て、元通りです。


感じる、気づくことがスタート地点です。でも、その先にある「習性としての行動:ふるまい」の変化までは、ずいぶんと距離も障害物もあるようです。

配線を知る

フェルデンクライスのレッスン
ATM グループレッスン(Awareness Through Movement)
FI  個人レッスン(Functional Integration=機能的統合)
を通して知ることができるのは、私の脳の配線具合、なのかもしれないと考えはじめています。(配線状態がわかれば、接続し直したり、切断したり、束ねたり、光ファイバーにしたりetcできます)


気づき(Awareness)から学び(Learning)へは一足飛びとはいかないようです。

*1:ロビー・オフィアーさん(Mr. Robbie Ofir):
FPTP京都(フェルデンクライスメソッド指導者養成コース)の講師