フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

からだは何でも知っている

5月24日の駅伝大会(第5回谷川真理駅伝)に出場される、masaさんがATMレッスンのことを書いていらっしゃいます。


masaさんのブログ
  「走ることが私のリズム。続けることが力になります。」こちら
masaさんの5/18付の記事
  【失敗から学ぶ自分のこと→フェルデンクライス・メソッド】→こちら


masaさんのATM記を読みながら、うなずいてばかりいました。中でも

また、左耳を触った状態で、上半身を下に向けていくと・・・
背中の疲れがはっきりわかります。
その疲れが、精神的な疲れからきているものなんだなぁーというのもわかるんです。
(なんでだろ?)
(masaさんのブログ2009.5/18付の記事より)

には、思わず「そうなのよ、不思議よね〜」と画面に向かって相づちを打っていました。

動きとは別のところで

フェルデンクライスのレッスンを受けると、その動きと直接関係がない体の部分で「疲れ」に気づいたり、その原因が肉体的なものでないことに気づいたりします。ATMレッスンは、動きの指示を耳で聞きながら、体を動かします。そのため
  「筋肉が緊張していて思うように動かない!」
  「スジが引っぱれて痛い!」
  「上手く動けた♪」
  「なんか動けない…なんか間違ってる?」
といった動きに関係することを先に感じることが多い。ところが、masaさんが書いていらっしゃるようなことを気づく・発見することもあるのです。(だから、フェルデンクライスは不思議でおもしろい)

身体は物置?

気づいたその衝撃で、砂の城が崩れるように、私の身体が崩れ落ちそうになったこともあります。そして、崩れ落ちそうになる身体を支えたのも、私の身体でした。でも、本当は、崩れ落ちそうになっていたのは身体じゃなくて、私の意識だったのかもしれません。


私たちは身体に何をしまいこんでいるのでしょう?
身体に「口」がないことをいいことに。