二つの速さの私〜NHK「復活した“脳の力”」
先日録画しておいた「復活した“脳の力”〜テイラー博士からのメッセージ〜」(NHK総合、5/7夜放送)を見ました。(番組詳細ページ)
神経解剖学者として研究の成果を上げていたジル・ボルト・テイラー博士(Jill Bolte Tylor,Ph.D.)が、37歳の時に脳卒中で倒れ、その後再生を果たしそのことを書いた本が
「奇跡の脳」(ジル・ボルト・テイラー著、竹内薫訳、新潮社)です。
番組は、彼女の著作に感銘を受けた生命科学者の中村桂子博士が、テイラー博士を訪ね対談したもです。
この中で一番興味深かったのは、対談の中での中村博士の表情です。
画面でしかわからない表情
中村 : 言葉を失った時に宇宙とつながる一体感をもった、幸福感をもった。「涅槃」という東洋の言葉を使っていらっしゃいますが、そこまでの感覚、今のように言葉を取り戻し、毎日忙しく暮らしていらっしゃいますよね。そうなると、その感覚を持ち続けることは難しくありませんか?
ジル : そのことは、私も非常に興味を持っています。私の一方の自分はとてもゆっくりしています。その私は忙しい左半球とは違ったスピードで考え、感じ、機能します。左半球はもっとスピードが速く、機敏で、分析的に考えます。ですから、二つの速さの私がいます。
中村 : あなたの中に?
ジル : 私の中に。しかし、私は常に自分のしていることを認識し、観察し、ゆっくりで落ち着いてもっと安定した状態にできるだけ早く戻ろうとします。
(2009年5月7日放送、NHK総合「復活した“脳の力”〜テイラー博士からのメッセージ〜」より)
テイラー博士の「二つの速さの私がいます」という言葉に、中村博士は大変とまどったような、「何を言ってらっしゃるのかしら?」といった困ったような顔をしながら「あなたの中に?」と問いかけます。その問いかけに2―3秒の間があって、テイラー博士はゆっくりと「私の中に」と答えます。
自分の普通と他人からの眼
中村博士の表情が映し出される直前まで、テイラー博士の言葉に「そうそう、わかるわかる」と相づちを打っていた私は、中村博士のとまどう表情を見て現実に引き戻されます。
フェルデンクライスのレッスン、特にFIレッスン*1での体験からそうした「二つの速さの私」に馴染みのある私にとって、テイラー博士の言葉はとてもうなづけるものです。でも、一般的にはそうではないのでした。
私がFIレッスンの体験を語る(書く)相手は、主にFPTP京都の仲間だったり、ブログです。相手から違和感をもたれることが少ない、または、相手の反応をリアルタイムで見ることができない中での表現です。
フェルデンクライスメソッドを学ぶFPTPの仲間が、私の話を聞いて「???」という表情をすることがあります。(「Reikoさんの言うことは、もうひとつよくわかんないけど、そういう感じを得ることもあるんや〜」という反応です)そして、これまで中村博士ほどのとまどいの反応を見たことがなかった私は、自分の体験をわりと普通のことのよう思っていました。ちがうのですね。
「二つの速さの私」は、特別な体験・感覚だとは思いません。でも、他の人に話す場合、気をつける必要があるのかもしれない、と感じたシーンでした。
(そういえば、春の講習会で受けたFIの後、数日ボーっとしている私の様子に母が心配したので、その“感覚”を説明したら、彼女の「心配」に拍車がかかり、「大丈夫?」の嵐が吹き荒れ、困りましたっけ)
三人の対談
「二つの速さの私がいます」「あなたの中に?」「私の中に」の会話は、
それぞれ、
・右半球のテイラー博士
・中村博士
・左半球のテイラー博士
の3人のものだと感じました。中村博士のとまどいを感じ、同じ科学者であるテイラー博士の左半球が一瞬対談に顔を出し(眼に現れ)、でも、語ったのは右半球のテイラー博士、というものだと思いました。(番組の前半の対談は、左半球のテイラー博士ばかりが出てきます)
「速さ」の切り替えと「選択」
「私の中には、“いろいろな速さの私”がいるらしい」と感じている私は、テイラー博士の
・自然が多い家の周りを散歩する様子
(自然に溶けこんだようなおだやかな雰囲気:対談の時とは全くちがう)
・脳卒中患者に語りかける様子
(思いやりあるやさしい雰囲気)
・アメリカ有数の環境関連イベントで話をする様子
(強い自信にあふれる口調)
・届いた手紙に返事をタイプしている様子
(ウォーキングマシン上で歩きながらタイプしている!)
とそれぞれのシーンで違う速さで行動・生活されている様子を見て、「同一人物!?」と驚きます。本で読んだ時は、脳卒中後の彼女は「右半球の人」ばかりだろうと思いこんでいて、「左半球の人」と共存していると思いませんでした。
彼女の様子(「選択」)を見て、優秀でバランスのとれたビジネス・パーソンは、実はこうした「速さのちがう私」を上手く切り替えているのかもしれない、と少し考えています。