フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

そこに苦痛があるかぎり遠ざかる

フェルデンクライス・メソッド(Feldenkrais Method)のグループレッスン(ATM:Awareness Through Movement 動きを通した気づき)にはたくさんのレッスンがある。メソッド創始者のモシェ・フェルデンクライス博士(Moshe Feldenkrais)は、レッスンを500作ったと聞く。

 

その中には、動きは同じだけれど、身体の向きがちがう(重力のかかる方向がちがう)レッスンも含まれる。「やってることは同じでしょ?」と指導者養成コース(FPTP:Feldenkrais Professional Training Program)でよく聞いた。

 

たとえば、仰向け寝、横向け寝、イスに座って・・・姿勢がちがうけれど、「膝を頭へ近づける」という動きのレッスン、といった風に。

 

このことは知識として知っていても、意外と身体と頭の連絡線上でわかってない。

「コレはあのレッスンの『姿勢ちがい』『アレンジ』版だ」となかなかピンとこない。

私の頭・身体が相当鈍いからだろう。

 

でも、今朝気がついた。(やっと!)

 

そもそもレッスンで求められる姿勢が私にはつらい(苦痛)だからなのでは?

つらい姿勢の上に、動きを達成しようと力んで動き・・・をしていたら

頭にも身体にも二重三重に余裕はない。

余裕がないところに気づき(発見)をつかみようがない。

 

別々のレッスンとずっと思い込んでいたものが

「なーんだ、あのレッスンの『姿勢ちがい版』なんだ」とようやく気づいたのは

その姿勢で動くことの苦痛さが減ってきたから。

頭と身体が線上でつながると、身体は楽で、頭は爽快。

 

苦痛があるかぎり、いくらがんばっても目的からどんどん外れていく。

こわい。

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