フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

誠(まこと)がない

以前、おばあちゃんとお話をしていて
  (亡くなられたご主人と)
  一緒のお墓に入りたくない
  夢で会うのもごめん
と笑いながらおっしゃっていました。


とても朗らかで聡明で、大正モダンの時代を生きてこられた、愚痴などおっしゃらない方です。それが、十何年ぶりかで、ご主人が夢の中に現れられたそうで、そこからこの話になりました。
そのあと、ぽつりとおっしゃった言葉が

「まこと(誠)」がない人やったなあ


「夫として」だけのことをおっしゃっているのではないことは、話の前後からわかりました。父親として、息子としても「誠がなかった」ということです。


」という言葉を、会話で耳にしたのは、後にも先にもあの時だけです。明治生まれのおばあちゃんが、普通に口にしたこの言葉は、強烈に私の中に響きました。ご主人のこと、ご主人との関係を表すのに、それしかなかった、それが一番当てはまる言葉だったのだと思います。


ある人物のことを「真面目」「一生懸命」「努力家」「頭の回転がはやい」「要領がいい」「無口」などの面でみることはあっても、「誠のある」かどうかは思いません。知り合っても、すぐに判断できないコアな部分だからかもしれません。
誠の有無で人をみる
簡単に見えないものですが、私自身も含め大切な要素だと思います。


偽り飾らない情。人に対して親切にして欺かないこと。誠意。
広辞苑より)