自分にとっての当り前を疑う〜脳はからだの都合を考えない
フェルデンクライスのグループレッスンを受けると、私の場合
・動きそのものが楽しかった(でも、後や翌日にカラダが痛い)
・動きの意味がよくわからない(レッスン後、特にカラダの変化を感じない)
・レッスンのほとんどが苦痛(ある姿勢・動きをすることがツライ)
ということがあります。
フェルデンクライスのレッスンは、
・からだは、そういう風に動けることを知っている
・頭は、その動きになじみがない(忘れている)
そんな動きを、「お手本」「見本」なしにインストラクターの言葉による動きの指示だけで動いていきます。ちょっと、ジグソー・パズルのようです。
インストラクターの「言葉による動きの指示」がパズルのピースのようなものです。それを、聞いて「動き」の面を埋めていく。しかも、パズル片は同じ形でありません。同じ形でもサイズが違ったり、一見似ているけれど微妙にちがったり…。バズル片を並べていって、パズルの絵が何か見えてきても、最後の1ピースがうまくはまらないことがあります。うまく、順調に快調に並べられている♪♪とよろこんで、最後の1ピースをはめようとすると…(>o<) これは、「レッスンの後でからだが痛い」にあてはまるかもしれません。
FPTP京都の講師、フランクさんが
「(レッスンを)真面目にすることは、お勧めできません」
といったことをおっしゃっていた記憶があります。
フェルデンクライスのレッスンから、「動きを通して学ぶ」には、
・痛い
・つらい
・わかんない
・うまくいかない
・できるけど、何かひっかかる
がきっかけになるように思います。それが、自分にとってあまりに苦痛だったり苦労だったり苦手と感じると、取り組むことを放棄してしまいますが、それを許容範囲にそこそこ調節しながら、動くとおもしろいことが見つかります。
平面だったパズルが立体的なものに仕上がるから、フェルデンクライスのレッスンは不思議です。
脳が、自分(=脳)にとっての当り前を疑う
って本当に難しいです。
その脳の当り前を疑うきっかけが「からだ」であることが、また、おもしろいです。