フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

リスペクト

今朝の朝日新聞(2009年7月19日)の書評欄の一文

「関係性欲求」を持つことが人間の本質であり、他者からの評価や肯定が私たちを動かす原動力で、そうした「リスペクトが循環する社会」こそが幸せをもたらすという、大きな展望が語られる


(紹介書籍:「つながる脳」藤井直敬/著、NHK出版)
つながる脳
(評:広井良典
朝日新聞2009年7月19日付10版4頁)

を読んで。

リスペクト”って日本語で「尊敬する」「尊重する」と習った記憶があるし、またそう訳されるけれど、なんだかしっくりこないなあ〜・・・。ぶつぶつ・・・。


仕事で、認知症のお年寄り(介護度も高い)と接していて、相手が急に不機嫌になることがあります。それまで会話ができていたり、身体を動かすことにも抵抗なかったのに。
私の中で、何かが欠け始めるか、空白になった時に、そういう展開になったように思います。
そういえば、日常、母との間でよく起こっていることと共通しているようにも思います。


その何かが“リスペクト”だと思い、辞書で調べました。

ふり返って(re)見る(spect)
人としての価値を認めること」が本義
ジーニアス英和辞典)

そうです。相手を見ることを怠った瞬間、お年寄りは不機嫌になるのです。目がその人に向いていても、気持ちが他所にいってたらダメです。おしゃべりを続ける必要はなくて、気持ちを相手の側近くにおいているかどうかだと思います。


フェルデンクライスの個人レッスンを受けたり、その練習をすると、目をつぶっていても、相手の手が私の身体に触れると「リスペクト」があるかどうかわかります。(誰でも分かります)この時「リスペクト」は「尊重」「尊敬」ではありません。その人を見ているかどうか?だと思います。


今、誰も、自分自身を他人を、そのどちらも「見ていない」ような、循環する“リスペクト”そのものが欠けているような気がします。