フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

内なる声

フェルデンクライスのレッスン(個人・グループ)を受けている時、脈絡なく突然「ああ、これが私・私の行動を形作っているのかも」と思う瞬間があります。「思う」というより、身体を通して「感じる」「見える」が適当かもしれません。


「見えた」瞬間、驚き、何かが強烈に揺さぶられます。そのショックに、グラリと“自分”が崩れ落ちそうになります。
と同時に、
な〜んだ、そんなことだったんだ。これで対策を立てられる♪♪
みたいなつぶやき声が聞こえてきます。


悲劇のヒロイン風に、崩れ落ちそうになっている(塀の上から落ちそうになっている)のに、妙に楽天的な・脳天気な声に注意が向いて、我に返ります。


あの楽天さは私のものではありません。
とてもあっけらかんとした声に、一瞬キョトンとした後、吹き出しそうになります。
残念なことに、「これで対策を立てられる♪」の後、“具体的な対策”のつぶやきが一向に聞こえてきません。でも、あの楽天的な声は、不思議と私を安心させます。(すぐに、何かを解決してくれるものではありませんが)
それにしても、ずいぶん子供っぽい(5〜7歳)です。あの声は。