フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

もしかして信用してない?(その2)

(ある人物・発言・行動を、ある商品・製品・会社を)信用するかどうか、ということは生活の中で、個人の付き合いの中で、仕事の中で感じ、判断しているものです。
その発言や行動が信用できなければ、お付き合いをやめるし、その商品の品質が信用できなければ、購入をやめ、会社の体質や体制が信用できなければ取引を控えます。「信用」「信頼」を基準に行動をしているわけです。


この「信用できるかな?」光線は、いつも自分以外に向けてきたので、突然そのライトの中に自分がいることに気づくと本当にびっくりします。当たり前です。「自分自身を信用できるかどうか?」なんてことを考えながら生活していられません。でも。観客席にいて、ライトに照らされている舞台を見ていたのに、何の前触れもなくそのライトが私に向きポットライトが当たったようなものですから、おどろきます。

私の場合、フェルデンクライスのレッスン中、こうしたライトに自分が照らし出される瞬間があります。

それが、

ねえ、もしかして、
自分を信用してない??

です。

私の頭は
自分(身体)を信用していないかもなあ…
とつぶやき、私の身体は
自分(頭)なんて、全然信用できない!
とプンプンしています。
そして、もう一人の私は、身体の怒りようにうなずいています。
確かに、頭は身体を「アテにできなかった」かもしれないけれど、
頭は身体の言い分に耳を傾けないできたのですから身体が怒るのも無理ありません。

頭と身体の関係性を再構築できるでしょうか?