フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

つながる、つながる

日頃あれこれ考えたり・感じたり・思ったりしている「切れっ端」が、ある日ぱぱぱぱぱぱ〜っとつながることがあります。しかも、そういう時は、「切れっ端」A群、B群、C群…と別々のジャンルでの「つながり」が続けて起こるからおもしろい。

昨日がそういう日でした。
  ・偶然目にしたポスターからも
  ・打ち合わせ中も
  ・母の話を聞いていても
  ・街ゆく人を眺めていても
  ・みそかつ定食を食べていても
  ・…
つながるつながる♪♪

その中のひとつ。

からだは快くなければ
決して学ぶことはなく
受け入れることを拒否します
(モシェ・フェルデンクライス Moshe Feldenkrais)

このことが、「わかったー!!」です。

からだが快くなければ
脳は考えることも工夫をしようともしません。
だから、決して学ぶことはありません。
脳が受け入れることを拒否するのではありません。
からだが「安心・安全でない!」と拒否するのです。

と解釈。


ここでの「学ぶ」は知識を得るということではありません。
自分のふるまい(習慣・癖)を変える、という意味の「学ぶ」です。

やっぱり、からだを通して学ぶ

朝から、一人で動かせない重い変形テーブル移動させていた時のこと。父特製「キャスター付ブーツ」を4本ある脚のうち2本に履かせて、テーブルの一辺を持ち上げゴロゴロと転がして移動させます。


「ブーツ」を履かせるためには、先ずテーブルを持ち上げる必要があります。持ち上げるだけなら、できないわけでもありません。でも、テーブル4台×2本の脚×履かせる・脱がせる×部屋の端へ移動・定位置に戻す=32回持ち上げる必要があります。しかも、片手で持ち上げて、もう一方の手でブーツの着脱。これでは、くたびれてしまいます。


娘に大した筋力がなく、鈍くさいことをよ〜く知っている父は、テーブルを少し持ち上げておく「つっかえ棒」もあわせて作ってくれました。
はじめ、私は「つっかえ棒を使わなくても、持ち上げられるのに」と考えていました。つっかえ棒をテーブルに差し込む手間が加わるからです。それを面倒くさい、と思っていました。でも、前回、そのひと手間を途中から惜しんだためにどうなったか?頭痛を起こしてしまいました。



昨日は、つっかえ棒にきちんとお世話になりました。そこで、ようやく父がつぶやいていた言葉とM・フェルデンクライスの言葉と身体と脳がつながりました。

アンタは、この棒を使うことを
単純にひとつ手間が増えると思てるかしらんけど
その手間をかけへんで、結果くたびれたら意味ないやろ?
アンタがしたいと思てる肝心のことができひんねんで

重いテーブルを持ち上げ続ける(=楽でない動き)必要がないことを身体がはっきりと理解すると、なんと、脳がぼちぼち考え、身体と相談しながら工夫をし始めたのです。

  ・テーブルのどの一辺の、どこを持てばいいのか
  ・テーブルの方向を変えるにはどう動かせばいいのか
  ・楽に動かすにはどうすればいいのか
  ・…



その上、脳と身体は、テーブルを移動させるだけでなく、限られた空間を広く・見栄えよく使うにはどう配置したらベストなのかまで考えます。これは、2人でテーブルを運んでいた時でも考えなかったことです。(=2人で運んでいても、かなり重く感じていた)

「わかったつもり」にご用心

ここまで書いて、ようやく気づきました。
M・フェルデンクライスの言葉の主語は最初から「からだ」だったことに。
「わかったー!」と喜ぶのはまだ早いようです(>_<)