フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

感じていることを感じる

今朝は雨上がりの後の曇り空。いつもなら太陽が昇り明るくなり始める時間でも「まだ夜明け前かな?」と勘違いする位の暗さでした。
陽の光に影響される私の気分。雲の向こうに太陽があることを感じていても、一定以上の明るさを欲しがります。それが、雲の合間からのぞく青い空の一片を見つけ途端、気分は一変。
『そんなに単純か・・・』という声が頭のどこからか聞こえてきますが、仕方ありません。陽の光に反応してケタケタと喜ぶ私がいるのですから。
“冬の”太陽光は、私には大切です。


フェルデンクライスのレッスンを受けると、
 ・私の身体が何を感じているのか
 ・私の気持ちは何を感じているのか
 ・私が何を考えているのか
 ・私は何を優先しようとしているのか
 ・私は何をしようとしているのか
etcを「感じる」「気づく」ことがあります。また、レッスン後も『感じていることを感じる』ことが出来る機会が多くなります。


身体や気持ちが感じているのに、感じていないフリをする・無視する場合もあるでしょう。(これらは“意識的”な行為です)
でも、それが度重なると「感じている」ことを感じられなくなるかもしれません。(“無意識”に変身!)脳は簡単に「ショートカットキー」を作ります。便利なんですけれどもね、手間が省けて。
そして身体や気持ちが「ブラックボックス化」していきます。自分のものなのに・・・。


レッスン中やその後しばらくして、自分というブラックボックスからボンッ!と何が飛び出してきてびっくりすることがあります。
びっくりしたことに吃驚し過ぎて、ブラックボックスにもっと頑丈な鍵を掛けてしまうかもしれません。


単にびっくりしただけ、と気づいたら楽になります。ブラックボックスに鍵を掛けることも、中から何が飛び出してくる度に驚くこともなくなるでしょう。(といっても少しビックリしますが)


年齢を重ねて、赤ちゃんの頃や子供時代よりたくさんのことを知っているつもり、分かっているつもりになっていますが、大したことないようです(>_<)